親孝行について考える回

 

お久しぶりです、わたしです。

 

突然ですが、6日の月曜に同居してたおばあちゃんが亡くなりました。なんかなあ…ほんとにあっけなくて、でもこの気持ちだけは絶対に残しておかないとと思って書いてます。

 

わたしはお葬式を経験するのが2回目で、2年前におじいちゃんが亡くなったときが1回目です。おじいちゃんは何年も施設に入ってる上にわたしも4年間大阪にいたし、その施設で亡くなったから急にいなくなった感じがなかったんですよね。

おばあちゃんは、11月27日の朝に救急車で病院に運ばれました。確かにしんどそうではあったけどまだ全然元気だったし、もし家に戻ってこれないとしても施設に入って過ごすんだろうなって、なぜかそうなると思ってたんですよね。

でもたった1週間で亡くなりました。

ずっと一緒に家にいたはずなのにわたしは何もできなかったし、最後の瞬間にも立ち会えませんでした。

 

おばあちゃんが亡くなって父が言った、

「一緒に住んでることで天狗になってた。」

という言葉がめちゃくちゃ深く刺さりました。

 わたしも大阪から実家に帰ってきて一緒に暮らすことで親孝行をしていると思っているし、「世の中の娘の中でわたしがいちばんいい娘だ」と思っているからです。

親孝行ってほんとに難しいなあ〜多分全部が正解で、逆にどれも正解じゃないんだろうなと思います。

わたしは親が亡くなる最後のときまでできるだけ一緒に過ごして、最後を見届けることがいちばんの親孝行だと思っています。そう思ってたからこそ、だいすきな大阪を捨てて大嫌いな田舎に戻ってきました。でも今回みたいにどこにいようが最後のときに一緒にいれるかなんて、結局タイミングなんですよ。

でも、でも、だからこそ、今できるときに自分が思う親孝行をしておくべきだと思いました。全力を尽くしてても後悔すると思うけど、何かを選択するときに、明日自分の大切な人がいなくなるかもしれないと思って決めようと思いました。そして、親孝行の面で、「こっちに帰ってきた」という自分の選択が正しかったと思えるように行動しようと思いました。

ただまあ親孝行と自分の人生の両立ってまじで難しいよね。親の近くにいないとと思ってる反面、もう1回大阪に出たいと思ってるわけだし。「親孝行とは」って永遠の課題だわ

 

おばあちゃんは頭はほんとに達者で、たぶん自分が弱っていっていること、先が長くないことは分かっていたんだと思います。家にいるときから身辺整理だと言って、いらない服を捨てたり残ってる食べ物を食べたりしていました。それに加えて、自分がいなくなったあと必要な書類もまとめてたりしてて、まだ長生きすると思ってたのはこっちだけで、あの日いなくなることは確定事項だったのかなと思わせられます。

すげえよ、ほんと。なにもできなくてごめんね、でもあなたの息子があなたにしてきたように、わたしもお父さんに返していくので心配しなくていいです。ゆっくり休んでね

 

 

おわり